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○阿弥陀寺の由緒沿革
阿弥陀寺の由来は、今を遡ること五百有余年前、大坂夏の陣、室町時代の後期に、行基菩薩開基京都山城国光蓮社一譽無三上人が、大和国畝傍山東南の地見瀬の郷に開創したもので、再後年を重ぬるに従ひ寺運益々隆盛に赴き、歸向の檀信徒も日に月に激増したので総本山知恩院から特に中本山の
芳號を賜りました。その歴史を示すものとして当山南側の観音堂横に慶長十二年(1602)と刻銘する六字名号碑があります。殿堂伽藍の布置輪奐の美を極め特に寺域高所に位しているので当時眺望絶佳なことは他に類例を見ない。實に県下浄土宗寺院の中重きをなしている。と橿原市史の歴史書に記されています。
又 阿弥陀寺には 末寺があります。石川町 本明寺、大軽町には法輪寺 (軽寺跡)、明日香村の御園には、西方寺、明日香村 栗原には、 竹林寺 以上4ヶ寺詳しくは、リンクをご覧下さい。各寺院には、リンクをしています。ご覧下さい。
このうち 石川町の本明寺は、橿原市の史跡になっています。 今でも 本堂の南側に 小さな古墳を思わせる 土盛りがあります。また、その横には、昔 この地を支配していたという 越智一族の七つの五輪塔といわれる 一つが、金剛 葛城連山を背にひっそりと立っています。
参考 石川精舎跡⇒本明寺
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御本尊弥陀三尊 |
一譽無三上人 |
晋山式平成二十年十一月 |
納骨堂奥の院紫雲庵 |
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鐘 楼 |
薬師如来 |
観音堂 |
十一面薬師観音立像鎌倉時代作 |
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大施餓鬼会法要毎年8月1日 |
お寺に咲いた蓮 |
まほり画伯作阿弥陀寺所蔵法然上人肖像
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延命水子地蔵尊 |
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納骨壇 預骨いたします |
個別の納骨壇一時預かりできます |
三世地蔵尊 |
地蔵菩薩木立像 |
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一譽無三上人
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